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「技術者の声」の第2回目は小池幸永さんにお話を伺いました。 *-*- 小池幸永 氏、1951年生まれ、現在は技術者の育成に力を注いでいる。 -*-* -- 学生時代はどのような青年でしたか。 高校時代は電子部品が欲しくて、新聞配達など色々なアルバイトをして いました。 「ラジオ少年」「無線少年」という呼ばれていた時代ですね。 高校卒業後、武蔵工業大学の技術員をしていたころは、よく秋葉原に通って いました。でも、当時と現在の「アキバ系」は全く違いますよ。 実家からの仕送りはありませんでしたので、アルバイトで「ラジオの製作」 (1999年廃刊)とういう雑誌の記事を書いていました。原稿料は1ページ5千円。 大学の給料が当時2万5千円だったので、それを考えると良いアルバイトでしたね。 -- 起業されたきっかけは。 1972年に家の事情で長野県に帰ってきたんですけれど、丸山(同社会長)と 「何か自分たちだけで出来る仕事はないかな〜」と思って始めたんです。 この辺りはプリント基板屋が多かったので、プリント基板のパタン設計を しようということになりました。会社の設立は1974年、まだ20代前半の頃です。 「回路設計もするので、社名はサーキットデザインだな」 ・・・今考えると安直な名前の付け方ですね(苦笑) -- 不安はありませんでしたか。 最初は5〜6人で仕事をしていたので「やめたくなったらやめればいいかな」 という気持ちで仕事をしていました。その後、従業員数が20人ぐらいに なった頃、バブル崩壊の影響もあってかまわりの会社が倒産していくのを見て、 初めて真剣に考えるようになったんです。 -- 転けるわけにはいかない、ということですね。 例えば、従業員数が20人だとしても、その人に奥さんや子供がいたら、 その家族の生活もかかっていることになりますよね。関連企業のことも 考えると何十倍にもなります。 人と同じことをしていたら生き残っていけない。 他よりも価値のある物をつくらなければ。 「物の価値とは何だろう」と考えていた時に、ふと気がついたんです。 物の価値は「工賃」で決まる、と。 |
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